JAPAN ART MIME SOCIETY
人物紹介
日本アートマイム協会会長
【 JIDAI(ジダイ)について】
長年、独学で大道芸パントマイムを行なっていた中で、ポーランド人間国宝ステファン・ニジャウコフスキの愛弟子であり右腕でもあったテリー・プレス(カナダ)の一番弟子として10年間研鑽を積み、「マイムこそ人生」と活動を本格化。14年にわたる日本で唯一のアートマイム指導を経て、2010年より「JIDAI ORGANIC MIME」主宰。
叙情的でありシュールでもある舞台作品の発表を続けながら、後進の指導に当たっている。日本舞踊16年、ブレイクダンス9年、武術、各種ボディワークの研究を活かした理論に裏打ちされた指導が好評。
2010,12,14年ステファン・ニジャウコフスキ主催の「ポーランド国際マイム芸術祭」にゲスト講師として招聘される。国内外の大道芸フェスティバルでも活動。北京オリンピック、ボローニャ歌劇場に出演。
【Stefan Niedzialkowski(ステファン・ニジャウコフスキ)について】
現代マイムの主な源流であるフランスやイタリアの影響を受けずに、ポーランドで独自にパントマイムを生み出したヘンリック・トマシェフスキに見出され、その劇団で10年余り活躍した後1975年に独立。1979〜93年ニューヨークを拠点にした活動により、内面を身体化するマイムを創り上げ、マイムを普遍の芸術として確立。世界中で公演。
2004年日本における人間国宝ともいえる、ポーランド金の十字架勲章"Złoty Krzyż Zasługi"を授与され、現在ワルシャワを拠点に活動。アートマイムの普及発展のため、海外からもゲストを招き、作品上演や講習会、シンポジウムを交えた国際イベントを毎年ワルシャワにて開催。
著書に『Beyond the Word - The World of Mime』
【Henryk Tomaszewski( ヘンリック・トマシェフスキ)(1919~2001)について】
もともとはバレエダンサーであったが、ダンスや演劇という分野だけでは補えない表現を追求し、イタリアやフランスからの影響もほとんど受けることなく、独自のパントマイムを生み出す。1959年には国から劇場、スタジオ、住居を備えた建物の提供を受け「 ブロツワフ・パントマイム・シアター 」を設立。当時それだけの規模でパントマイム専用の劇場が存在したのはポーランドでは初めてのことであった。このような国からの援助のもと、ヨーロッパ各国、エジプト、アメリカ、日本(東京、大坂、京都)など世界中で公演。
photo:Michael Steinebach
photo: Artur Oleszczuk
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photo: David A. Fullard